「全社メールの件名が『働き方に関するお知らせ』だった時点で、嫌な予感はしていました」——フルリモート前提で自社開発企業に入社した34歳のエンジニアが、入社11か月目にそう話してくれました。メールの中身は、翌月から週3日の出社を求めるものでした。
私はIT・Web業界を中心に800名以上の転職支援に携わっていますが、出社回帰の相談で多いのは「出社が嫌だ」という感情の話ではなく、動くべきか残るべきかを決める物差しがないという悩みです。今回は、ある相談者が許容ラインを数字にして残留を選んだ経緯をたどりながら、前兆の見分け方と、次の面談で確認しておくべきことをお伝えします。
今回は、次の内容に沿ってご紹介します。
- 経営交代と業績悪化の後に、フルリモートが廃止されるまでの流れと前兆
- 週何日・片道何分までなら許容できるかを、家庭の制約まで含めて数字にする方法
- 残る場合と動く場合、それぞれのリスクと、判断を先送りしないための期限の置き方
- 次の面談で、現在の方針だけでなく変更履歴と決め方まで聞く質問例
目次
入社11か月で「週3出社」の通達が来た相談者の場合
Wさん(34歳・バックエンドエンジニア、経験9年)は、旅行予約サービスを運営する社員150名規模の自社開発企業にGoエンジニアとして入社しました。求人票には「フルリモート可」、面談でも「出社は月1回の全体会議くらい」と説明を受けていて、これが転職の決め手の一つでした。
Wさん一家は、入社の半年前に妻の実家に近い地方都市へ引っ越していました。保育園に通う子どもが一人。会社の本社までは電車と新幹線を乗り継いで片道およそ1時間40分です。フルリモートだからこそ成り立つ暮らしでした。
変化の始まりは、入社7か月目の創業社長の退任でした。親会社から来た新しいCEOが就任し、その後の2四半期は売上が計画に届かず、全社集会では「対面でのコミュニケーションを通じた意思決定の速度向上」という言葉が何度も出るようになります。そして冒頭のメールです。
Wさんが私に連絡をくれたのは、通達の翌日でした。最初の一言は「転職エージェントに相談するのは初めてなんですが、辞める前提で話していいですか」。私は「辞めると決める前に、決める物差しを作りましょう」と答えました。残るか動くかを決めるのはその後で遅くありません。
出社回帰の前兆と、世の中の実態
Wさんの会社の流れは、私が相談で見る出社回帰のパターンにかなり近いものです。振り返ると、通達の数か月前から前兆が出ていました。
出社回帰の前兆として、私が相談でよく見る変化
- 創業者や開発責任者が退き、親会社や他業界出身の経営陣が入る
- 四半期の目標未達が続き、全社集会で「コミュニケーション」「文化」「一体感」という言葉が増える
- 「リモート可」だった新規求人から、勤務地の記載が「東京都」などの固定の表記に変わる
- 管理職の会議や評価面談が、少しずつ対面に寄っていく
大事なのは、方針変更の理由が経営側にとって「業績が悪いから、手を打っている」という筋の通った話になりやすいことです。経営交代と業績悪化が重なった会社では、リモート廃止が最初に打たれる施策になりやすいと私は見ています。出社を増やしても追加の費用はほとんどかからず、「何かを変えた」と示しやすいからです。
では世の中全体ではどうなっているのでしょうか。東京都が従業員30人以上の都内企業2,192社に行った調査では、テレワーク実施率は2024年度が58.0%で、前年度の60.1%から2.1ポイント下がりました(出典:東京都「テレワーク実施率調査結果(2025年4月)」)。大きく崩れてはいないものの、じわじわ下がる方向です。
エンジニアの意識も数字に出ています。レバレジーズが2025年8月に発表した、ITエンジニア654人への調査では、出社回帰の方針が出た場合に43.7%が「転職も検討する」と答えました(出典:@IT「レバレジーズ調査」)。同じ調査では、勤務形態が「ハイブリッド」の人が44.6%で、そのうち週2〜3日の出社が45.2%と最も多くなっています。
別の調査もあります。スリーシェイクのITエンジニア調査では、現在フルリモートの人にフルリモートが認められなくなった場合の対応を聞いたところ、38.9%が「迷わず転職・案件変更を検討する」と答えました。私が読み取るのは、すぐ動く人は4割弱で、残りの6割強は条件次第で残る余地があるという点です(出典:ScanNetSecurity「スリーシェイク調査」)。
許容ラインを数字にする3つの軸
「出社が増えるのは嫌だ」という気持ちのまま転職活動に入ると、次の会社でも同じ種類の後悔をしがちです。Wさんにまず取り組んでもらったのは、嫌だと感じる中身を数字に分けることでした。
軸は3つあります。通勤時間、出社頻度、そして動かせない家庭の制約です。
許容ラインを決めるときの3つの軸
- 通勤時間:片道で何分までなら許容できるか。往復の時間を、週の合計時間に直して見る
- 出社頻度:週何日までなら生活を組み替えられるか。曜日が固定か選べるかも含めて考える
- 動かせない制約:保育園の送迎、介護、居住地、住宅ローンなど、半年以内に変えられないもの
Wさんの場合、片道1時間40分、往復で3時間20分です。週3日の出社なら、通勤だけで週に約10時間。朝は保育園の送りに間に合わず、妻の負担が一気に増えます。一方、週1日なら往復3時間20分で済み、前日の夜に準備をしておけば何とかなる、というのが本人の感覚でした。
ここで面白かったのは、本人も最初は「週2なら大丈夫だと思う」と言っていたことです。実際にカレンダーに出社日を書き込み、保育園の行事や妻の勤務シフトを重ねてみると、週2日でも月曜と金曜に固定された場合は成立しないことが分かりました。頻度だけでなく、曜日が選べるかどうかが効いていたのです。
ポイント: 許容ラインは「週何日」という1つの数字ではなく、「週2日まで、曜日は本人が選べる、片道100分以内」のように条件を組み合わせて決めます。数字を1つに絞ると、交渉でも転職先の比較でも使えなくなります。
私がWさんに勧めたのは、ラインを「許容できる」「かなり厳しい」「受け入れられない」の3段階で書いておくことでした。Wさんは、週1日なら許容、週2日(曜日選択可)はかなり厳しいが成立する、週3日は受け入れられない、と整理しました。この時点で、転職が前提だったWさんの相談が「会社が週2日と言ってきたらどうするか」という具体的な問いに変わりました。
残留のリスクと転職のリスクを並べる
許容ラインが決まっても、すぐに結論は出ません。動く場合にも残る場合にも、それぞれ見落としやすいリスクがあります。私はWさんと、次のように並べて整理しました。
| 項目 | 残留する場合 | 転職する場合 |
|---|---|---|
| 勤務条件 | 方針が再び変わる可能性が残る。例外承認は個別対応で、書面に残らないことが多い | 面談で確認した条件が、入社後に守られる保証はない |
| 年収・待遇 | 今の水準を維持できる。業績悪化が続けば賞与や昇給に影響する | フルリモートのまま同水準の求人は数が限られ、応募の競争が厳しくなりやすい |
| 評価・人間関係 | 出社する人としない人で、対面の機会に差が出る | 入社直後は信頼残高がなく、リモートだと立ち上がりが遅れやすい |
| 時間・体力 | 通勤の負担が先に来る | 活動時間と入社後の立ち上げに労力がかかる |
残留のリスクとして、私が一番大きいと見ているのは、例外承認が属人的になることです。「あなたは子どもが小さいから、特別に週1でいいよ」という口頭の約束は、上長が変わった瞬間に消えます。通達の翌月に人事異動で上長が替わった、という話は珍しくありません。
転職側のリスクとして見落とされるのは、フルリモートの求人は応募者が全国から集まるため、競争が厳しくなりやすいことです。居住地による制約が緩いぶん、応募が集中し、書類選考の通過率が下がるケースを私も何度も見てきました。地方在住でフルリモートを希望する場合の書類の見られ方は、地方在住でフルリモート求人が書類で落ちる原因にまとめています。
もう一つ、ここで気づいてほしいのは、残留と転職の二択にしなくてよいということです。期限付きで残り、並行して市場を確認するという第三の選択肢があります。Wさんはこれを選びました。
会社に聞くこと、確認すること
Wさんが最初にやったのは、感情的に反論することではなく、事実を集めることでした。人事に個別の面談を申し込み、次の点を聞いています。
通達を受けたあと、会社に確認した項目
- 週3日出社は全員一律か、職種やチーム単位で運用に差が出るか
- 例外申請の制度はあるか。ある場合、誰が判断し、いつまで有効か
- 方針の見直し時期はいつか。次の見直しで出社が増える可能性はあるか
- 雇用契約書の就業場所欄には何と書かれているか
最後の項目は、見落とす人が本当に多いところです。2024年4月の労働条件明示のルール改正で、就業場所と業務の「変更の範囲」も書面で明示することになりました(出典:厚生労働省 静岡労働局「労働条件明示のルールが改正されます」)。このルールはリモート勤務に個別に触れているわけではないので、「これがあるから出社は拒否できる」とは言えません。私が勧めるのは、契約書の就業場所欄を読み直して、会社側がどこまで変更できる書き方になっているかを知っておくことまでです。
Wさんの契約書には「本社、または会社が認める場所」と書かれていました。つまり、リモートは「会社が認める場所」の一つに過ぎず、会社が認めなくなれば出社が原則に戻ります。弁護士などの専門家でない私には、これが法的にどう扱われるかを断定することはできません。ただ、フルリモートが契約で保証されたものではなく、会社の運用に依存していたという事実は、判断材料としてはっきり意味を持ちます。
Wさんが選んだのは「期限付きの残留」だった
人事面談で分かったのは、週3日の出社は原則として全員に適用される一方、チーム単位で運用に幅を持たせる余地がある、ということでした。例外申請の制度はなく、上長の判断で出社日数を調整するのが実態です。
Wさんは、直属のマネージャーに自分の許容ラインを伝えました。ただし「週3日は無理です」という言い方ではなく、事実とデータの形にしています。通勤時間が往復3時間20分であること、保育園の送迎の都合で朝の出社が難しいこと、そして直近の半年間でリリースしたチケットの数と、障害対応の実績です。これは、「できないと言う前に、出社しなくても成果が出ている根拠を示す」ためでした。
結果、チームは週2日の出社になり、曜日はWさんが選べる運用になりました。ただし、これは口頭の合意で、書面ではありません。だからWさんは、自分の中で「半年後の見直しで週3日が原則になった場合は動く」というラインを決め、手帳に書き留めました。
並行して、私のところで求人の確認だけを続けました。フルリモートで現年収と同水準の求人は、条件を満たすものが数えるほどで、応募すれば通るという段階ではありません。それでも市場を見ておくことで、「いざとなれば動ける」という手応えが、会社との交渉でも落ち着いて話す余裕につながったと、Wさんは言っていました。
ちなみに、同じ会社で働いていたXさん(29歳、都内在住)は、まったく別の選択をしました。通勤時間は片道40分で、週3日の出社自体は許容できるラインでした。それでも転職を選んだのは、通達の前にも「推奨」という名目の出社要請が出ては立ち消えになっており、1年足らずで方針が二転三転したことへの不信感が理由です。2社から内定を得て、年収はほぼ横ばいで、出社は週1日のハイブリッドの会社に移りました。
WさんとXさんの違いは、出社の負担の大小ではなく、出社の日数と会社への信頼のどちらを判断の中心に置いたかです。どちらが正しいという話ではなく、自分がどちらを重く見るのかを先に知っておくことが、後悔を減らします。Wさんの見直しの時期はまだ来ていないので、この結末が最終的に正解だったかどうかは、この記事を書いている時点では分かりません。
次の会社の面談で聞くべき質問
もしあなたが動く判断をするなら、次の面談では「リモートは可能ですか」と聞くだけでは足りません。出社回帰を一度経験した人は、「今の方針」よりその方針がどう決まり、どう変わってきたかを知りたいはずです。
私が実際に勧めている質問を、聞く意図と一緒に挙げます。
面談で確認したい、方針の変更履歴と決め方に関する質問
- 「リモートの方針は、これまでに変わったことがありますか。変わった場合、きっかけは何でしたか」→ 変更履歴と、経営判断への感応度を見る
- 「方針を見直すときは、誰が決めて、社員にはどのくらい前に、どんな形で伝わりますか」→ 決定プロセスと予告期間を見る
- 「[雇用契約書の就業場所](/blog/employment-conditions-notice-engineer-remote-oncall/)は、どのような書き方になりますか」→ 運用の約束か、契約上の約束かを見る
- 「現在の出社日数は、チームや職種によって違いがありますか。その差はどう決まりますか」→ 例外が制度か属人かを見る
- 「直近1〜2年で、経営層や開発責任者に交代はありましたか」→ 出社回帰の前兆の有無を見る
大事なのは、質問の答え方そのものを見ることです。「うちはずっとフルリモートです」と即答される場合より、「実は一度、週1日の出社を試した時期がありました。理由は〜で、半年で元に戻しました」と、経緯まで具体的に語れる会社のほうが、私は信頼できると考えています。方針を変えた経験を隠さない会社は、次に変える時も説明してくれる可能性が高いからです。
質問の仕方にも注意が必要です。いきなり変更履歴を聞くと、疑っているように聞こえることがあります。「働き方を長く続けたいので、方針がどう決まってきたかを知っておきたい」と前置きするだけで、受け取られ方はかなり変わります。
出社回帰のあとに、残る人・動く人が今日からできること
最後に、残ると決めた人、動くと決めた人が、それぞれ今日からできることを整理します。
残る場合は、まず口頭の合意を書面に近い形に残すことです。上長とのやり取りを、チャットのメッセージやメールに要約して送っておけば、後から「そんな話はしていない」と言われにくくなります。それから、見直しの時期と「動く条件」を、自分の中で先に決めておきます。決めておかないと、少しずつ条件が悪化しても、そのたびに「まだ許容範囲だ」と感じてしまうからです。
動く場合は、いきなり退職届を出さず、市場の確認から始めます。出社頻度が許容ラインに収まる求人は、フルリモートより圧倒的に多いからです。フルリモートに絞るか、週1〜2日のハイブリッドまで広げるかで、受けられる求人の数も、年収の選択肢も大きく変わります。リモートを条件にしたことで年収が下がるケースは、リモート勤務で年収が下がる理由にまとめています。
もう一点。契約形態が会社員ではない場合は、判断の軸が変わります。フリーランスで出社を求められたときの対応は、フリーランスが出社を求められたときの対応で扱いました。また、入社直後のフルリモートで信頼を築く方法は、SESからフルリモートの自社開発に移った後の信頼の作り方が参考になります。
よくある質問
出社回帰の方針が出たら、すぐに転職活動を始めるべきですか。 すぐに応募を始める必要はありませんが、市場の確認は早めに始めるのがおすすめです。応募しなくても、求人の数や年収の水準を知っておくだけで、社内での交渉も落ち着いてできます。
入社時にフルリモートと説明されていたのに、出社を命じられました。拒否できますか。 契約書の就業場所の書き方や、入社時の説明の経緯によって変わるため、私には断定できません。就業場所欄がどう書かれているかを確認し、それでも納得できない場合は、労働局の総合労働相談コーナーなど公的な窓口や、専門家に相談してください。
面談で出社方針の変更履歴を聞いたら、印象が悪くなりませんか。 聞き方次第です。「長く働きたいので、方針の決まり方を知っておきたい」と目的を添えれば、むしろ誠実に見られることが多いと私は感じています。逆に、質問を避ける会社は、そこが判断材料になります。
出社日数はどのくらいなら、多くの人が許容していますか。 日数の統一的な基準はなく、人によって大きく違います。参考までに、レバレジーズの調査では、出社に切り替わる場合に出社を受け入れやすくなる制度として「フレックスタイム制度」が42.2%、「通勤・住宅手当」が41.8%と上位でした。日数そのものより、柔軟性や負担への手当てがあるかで受け止め方が変わる人が多いと読めます。私の相談でも、Wさんのように「曜日が選べるか」で結論が変わる人は少なくありません。
まとめ
出社回帰が決まった時に、転職か残留かを分けるのは、感情の強さではありません。自分が受け入れられる条件を、数字で3段階に決めてあるかどうかです。
Wさんは、片道100分、週2日、曜日選択という組み合わせでラインを書き出し、期限付きで残る判断をしました。同じ会社のXさんは、出社の負担より方針が二転三転したことへの不信感を重く見て、動きました。どちらも、決めた基準に沿っていました。
次の面談では、現在の方針だけでなく、変更履歴と決め方、そして契約書の就業場所を聞いてください。それが、入社後に同じ状況に巻き込まれた時の「物差し」になります。出社回帰は、会社の方針が変わるきっかけであると同時に、自分が仕事と暮らしに何を求めるかを見直す機会でもあります。




