「来月から、週2で出社してもらえますか」——フルリモート前提で契約を結んだはずのクライアントから、契約更新の1ヶ月前にそう打診されたフリーランスエンジニアのAさん(39歳)が、私のところに相談に来ました。契約書のどこにも「出社」の文字はなかったのに、断っていいものか、応じるべきなのか判断がつかないという相談でした。
私はIT・Web業界を中心に800名以上の転職・キャリア支援に携わっていますが、正社員だけでなくフリーランスで働くエンジニアからの相談も年々増えていて、契約途中の条件変更にどう向き合うかで悩む声をよく聞きます。今回は、契約書の条項確認→単価再交渉の材料作り→契約終了の判断基準という3段階の対応フローを、Aさんの実例に沿ってお伝えします。
今回は、次の内容に沿ってご紹介します。
- フルリモート案件が減り、出社頻度アップの打診が増えている市場の背景
- 契約途中で出社を打診されたら、最初に契約書のどこを確認すべきか
- 単価再交渉の材料を、感情論ではなく数字でどう作るか
- 交渉で折り合えないとき、契約終了を選ぶ判断基準はどこにあるか
目次
フリーランスエンジニア、出社頻度アップの打診が増えている背景
Aさんのようなケースは、この1年で明らかに増えています。レバレジーズが運営するレバテックの調査によると、2026年6月時点でフルリモート案件の比率は全体の約30%まで縮小した一方、AI・DX関連案件は前年同月比で約3.1倍に増えており、案件の中身によって働き方の要求が二極化しているのが実情です(出典:レバレジーズ「AI・DX関連のITフリーランス案件数は昨年比約3.1倍」)。
この数字が示しているのは、単に「出社回帰の流れが来ている」という一般論ではありません。資金調達後にオフィスを構えた企業が、コミュニケーションコストを理由に稼働形態を見直すという個別の経営判断が、あちこちで同時多発的に起きているというのが私の実感です。フルリモートで契約したはずの案件が、案件の性質が変わったわけでもないのに途中で条件が動く。Aさんが受けた打診も、まさにその一例でした。
正社員でも、フルリモートから出社を求められて信頼関係の築き方に悩む方はいます。客先常駐から自社開発フルリモートへ転職した方が評価されない不安を乗り越えた実例でも触れていますが、対面のコミュニケーションを増やしたい心理自体は、雇用形態を問わずクライアント側に根強くあります。ただしフリーランスの場合、正社員と違って就業規則の変更で一方的に処遇が決まる関係ではなく、契約という対等な取引の土台があります。この土台をどう使うかが、今回のテーマです。
Aさんが受けた「来月から週2出社」という打診
Aさんは前職の独立系SIerで通信キャリア向け基幹システムの開発を11年経験したのち、個人事業主としてフリーランスに転向して3年目でした。現在はヘルスケア系のスタートアップ(シリーズB、社員40名規模)と直接、準委任契約を結び、フルスタックエンジニアとして開発を担当しています。月単価は92万円、契約期間は3ヶ月更新で、これまで5回更新して通算1年半になっていました。
契約時のやり取りは、初回の商談で「フルリモートで問題ないか」とクライアントの開発責任者から質問され、Aさんが「問題ありません、むしろその前提でお受けしたいです」と答えたメールが残っているだけでした。契約書そのものには勤務場所を指定する条項がなく、業務内容と成果物の範囲だけが定められていました。
契約更新の1ヶ月前、開発責任者からSlackのダイレクトメッセージで「新しいオフィスができたので、来月から週2日は出社してほしい」という打診が届きました。理由として挙げられたのは、他のメンバーとの対面での認識合わせを増やしたいという説明でした。Aさんの自宅からオフィスまでは片道1時間強、往復で2時間強かかる立地です。
打診を受けた直後、Aさんの頭にあった疑問は次のようなものでした。
- 契約書に勤務場所の条項がないのに、途中で出社を求められるのは応じないといけないのか
- 断ったら契約を切られるのではないか
- 応じるとしたら、単価はそのままでいいのか
ステップ1、契約書の条項をまず確認する
打診を受けて最初にやるべきことは、感情で反応する前に契約書を開くことです。Aさんの契約書には勤務場所を定める条項がなく、業務内容と成果物、稼働時間の目安(月160時間程度)、契約期間、そして中途解除に関する条項だけが記載されていました。
条項がないこと自体は珍しくありません。準委任契約は業務の遂行を委託するものであって、労働契約のように勤務場所を細かく縛る性質のものではないからです。ただし、契約書に明記がなくても、契約締結時のやり取り(この場合は「フルリモートで問題ないか」というメールのやり取り)が、実質的な合意内容として扱われる場合があります。Aさんのようにメールやチャットの記録が残っていることは、この後の交渉で重要な材料になります。
勤務場所の指定は、それだけでは偽装請負にならない
契約途中で勤務場所を指定されると「偽装請負にあたるのでは」と考える方が一定数います。実際、SESの現場で客先から派遣契約への切り替えを打診される場面でも、指揮命令の実態が契約の建前とズレているサインとして同じ論点が出てきます。ただし、勤務場所を指定すること自体は、指揮命令の違法性を判断する基準そのものではありません。
昭和61年労働省告示37号は、請負(準委任も実務上はこの枠組みで判断されます)と労働者派遣の区分について、業務遂行に関する指示・労働時間等の管理・企業秩序の維持に関する指示を、発注者ではなく受託者側(この場合はAさん自身)が自ら行っているかどうかを基準にしています。出社日を週2日と定めること自体は、成果物の納期や品質を確保するための業務上の合理的な要請であり得て、それだけで告示に触れるとは限りません。
焦点は「出社した日に、誰がAさんの働き方を細かく管理しているか」です。日次の進め方や作業手順まで発注者から逐一指示され、始業・終業時刻の管理まで踏み込まれているようなら、偽装請負の論点が生じうると考えたほうがいいでしょう。ただし、この判断はケースバイケースで、専門家(弁護士や「フリーランス・トラブル110番」のような相談窓口)に個別に確認することをおすすめします。
フリーランス新法が問題にする「不当な」変更とは
もう一つ確認すべきは、フリーランス新法(特定受託事業者に係る取引の適正化等に関する法律)第5条です。同条2項2号は、一定の期間(政令で1ヶ月以上とされる業務委託)にわたる取引において、発注者が受託者の責めに帰すべき事由がないのに給付の内容を変更させたり、給付をやり直させたりすることで、受託者の利益を「不当に」害してはならないと定めています。
ここで注意したいのは、「勤務場所を変更したい」という打診が自動的にこの条文に触れるわけではない、という点です。条文が問題にしているのは変更そのものではなく、それが「不当に」利益を害するかどうかです。合理的な理由の説明があり、単価や稼働条件の見直しに応じる姿勢がある打診であれば、直ちに違法とは言えません。
一方で、理由の説明が曖昧なまま一方的に条件だけ変えようとする、あるいは変更に応じないなら契約を切ると仄めかすような進め方であれば、この条文に照らして論点になり得ます。この線引きは個別の事情次第で変わるため、自分だけで「違法だ」と決めつけず、状況を整理した上で専門家や相談窓口に確認するのが安全です。
出社頻度変更の打診を受けたときの位置づけ早見表です。
| 状況 | 論点になり得ること | 確認先の目安 |
|---|---|---|
| 契約書に勤務場所条項があり、変更が条項の範囲内 | 契約違反にはあたらないが、単価交渉の余地はある | 契約書の条文そのもの |
| 条項がなく、これまでフルリモート運用が事実上の合意だった | フリーランス新法第5条の「不当な」給付内容変更に該当しうる | 弁護士・フリーランス・トラブル110番 |
| 出社日の進め方・時間管理まで細かく指示され始めた | 告示37号の指揮命令基準に照らし偽装請負の論点が生じうる | 労働局・フリーランス・トラブル110番 |
Aさんのケースは、表でいう2番目の状況にあたりました。ただし、この時点ではまだ「打診」の段階で、Aさんが交渉次第で応じるかどうかを選べる余地がありました。だからこそ、次のステップは拒否や法的な主張をいきなりぶつけることではなく、単価再交渉の材料を作ることでした。
ステップ2、単価再交渉の材料を数字で作る
契約書の条項を確認したら、次にやるべきは感情的な反発を数字に変換する作業です。「急に言われても困る」という感覚をそのままクライアントにぶつけても、交渉としては弱くなります。Aさんと一緒に整理したのは、出社によって新たに発生するコストを、できるだけ具体的な数字にすることでした。
Aさんの場合、次の3つを数字にして交渉材料にしました。
- 移動時間: 往復2時間強×週2日=月あたり約17〜18時間の非稼働時間
- 交通費: 定期区間外のため往復で1日あたり実費約1,600円、月8日で約13,000円
- 稼働時間のロス: 出社日はオフィスの座席環境の都合で集中作業がしづらく、体感で生産性が2割ほど落ちる
このうち移動時間と交通費は、契約している月160時間の稼働時間目安に対して実質的な可処分時間が削られるという形で交渉材料になります。生産性の低下は数値化しづらいですが、Aさんは実際に出社した週の成果物のコミット数を記録し、在宅時と比較して交渉時の裏付けにしました。
交渉の場で、Aさんは「出社自体に反対はしません」と前置きした上で、移動時間分の稼働時間を単価に反映してほしいと伝えました。具体的には、月単価92万円に対して、移動と交通費の実費相当分として月8万円の増額と、交通費の実費精算を求めました。開発責任者からは「単価そのものの増額は難しいが、交通費の実費精算と、稼働時間目安を160時間から150時間に減らす形なら対応できる」という回答が返ってきました。単価は据え置きのまま実質的な時給が上がる形での着地案です。
ここで大事なのは、単価の額面だけを見て良し悪しを判断しないことです。稼働時間の目安が10時間減るということは、月単価92万円を150時間で割った実質時給に換算すると、それまでより時給ベースで上がっていることになります。額面が動かなくても、条件全体では譲歩を引き出せている場合があります。交渉の場で提示された条件は、単価という一つの数字だけでなく、稼働時間・交通費・成果物の範囲まで含めて総合的に比較する必要があります。
ポイント: 単価交渉は「上げてほしい」という要望だけで進めると通りにくくなります。移動時間・交通費・生産性低下という具体的なコストを数字で示し、クライアント側にとっても納得しやすい形に翻訳することが、交渉を前に進める一番の近道です。
ステップ3、契約終了を選ぶ判断基準
交渉によって、Aさんは一度は交通費実費精算と稼働時間目安の見直しという条件で合意しました。ところが出社を始めて2週間ほど経った頃、状況が変わります。開発責任者から「出社日は朝会に必ず参加してほしい」「チャットは出社日の間、常にオンライン表示にしておいてほしい」という追加の要請が来たのです。
朝会への参加自体は業務上の合理的な要請の範囲内とも言えますが、チャットの常時オンライン表示という要請は、成果物ではなく在席そのものを管理しようとしている兆候です。これはステップ1で整理した「日次の進め方や時間管理まで発注者側が踏み込んでいないか」という基準に、明確に触れ始める変化でした。
私がAさんに伝えたのは、ここで契約終了を検討すべき判断基準は、単価が上がるか下がるかではなく、管理の対象が「成果物」から「働き方そのもの」に移っていないかという一点だということでした。成果物の質や納期についてクライアントが要望を出すのは当然ですが、在席や振る舞いそのものを管理しようとする要請が積み重なるなら、それはもはや準委任契約の実態から外れかけているサインです。
フリーランス新法第16条の30日前予告、6ヶ月要件に注意
契約終了を選ぶ場合、フリーランス新法第16条が定める中途解除の予告義務を確認しておく必要があります。同条は、業務委託の期間が6ヶ月以上(更新によって通算6ヶ月以上になる場合を含む)である場合、発注者側が契約を中途解除するときは原則として30日前までに予告しなければならないと定めています。Aさんのように3ヶ月更新を5回重ねて通算1年半になっているケースは、この6ヶ月要件を満たします。
ただしこれはあくまで発注者側の中途解除に対する予告義務で、フリーランス側から契約を終了させたい場合に同じ義務が課されるわけではありません。とはいえ、実務上は契約書に定められた解約予告期間(多くの場合30日前後)に従うのが一般的で、Aさんの契約書にも「解約を希望する場合は30日前までに書面で通知する」という条項がありました。契約終了を決めたら、この予告期間を逆算して動く必要があります。この逆算の考え方は、案件終了と転職活動のタイミングを逆算する記事でも詳しく扱っているので、次の案件探しと合わせて参考にしてください。
Aさんの場合、在席管理の要請が続いたことに加えて、単価交渉で得た条件の実質的なメリットが薄れてきたと感じたことも重なり、契約終了を選ぶ決断をしました。ただし、収入の空白期間を作らないよう、次の契約先を先に確保してから、契約書の条項通り30日前予告で通知するという順序で動きました。
Aさんが最終的に下した判断とその後
Aさんは複数のエージェントに登録し、フルリモート案件に絞って次の契約先を探しました。この時点でも、フルリモート案件の比率が全体の3割程度まで縮小しているという市場の変化は感じたと言います。それでも2ヶ月ほどで新しい契約先(別のSaaS企業、月単価95万円、フルリモート)が見つかり、既存の契約を30日前予告で終了させました。
Aさんが振り返って印象的だったのは、「出社そのものが嫌だったわけではなく、成果物の話ではなく在席の話ばかりされるようになったことに違和感があった」という言葉です。契約書に勤務場所の条項がなかったことが、結果的に交渉の自由度を残していたとも言えます。もし契約書に最初から「フルリモート」と明記されていれば、後から出社を求めること自体がより明確に条項変更の話になり、逆に交渉の土俵がはっきりしていたかもしれません。
この経験からAさんは、次の契約では勤務場所と変更時の手続きについて、契約書に明記してもらうよう先方に依頼しました。口頭やメールでの合意に頼るのではなく、変更が生じる場合の協議手続きまで契約書に書き込んでおくことが、次に同じような打診を受けたときの備えになります。
よくある質問
出社の打診を断ったら、契約を切られませんか。 契約書に勤務場所の条項がなければ、出社そのものに応じる法的な義務はありません。ただし、クライアント側にも事業運営上の判断があるため、断ったことを理由に契約更新を見送られる可能性はゼロではありません。まずは断る一択ではなく、単価交渉の材料を用意した上で、応じる条件を提示する交渉から入るほうが、関係を壊さずに着地点を探りやすくなります。
口頭やチャットでのやり取りだけで、契約書は変わってしまいますか。 契約書そのものが自動的に書き換わるわけではありませんが、口頭やチャットでの合意が実質的な契約内容として扱われる場合はあります。だからこそ、打診を受けた時点でのやり取りは、できるだけ記録が残る形(メールやチャット)で行い、合意した内容は後から書面や契約書の覚書として残すことをおすすめします。
偽装請負ではないかと感じたら、どこに相談すればいいですか。 契約の相手方に直接確認しづらい場合は、弁護士のほか「フリーランス・トラブル110番」のような専門の相談窓口があります。勤務場所の指定それ自体が違法かどうかは個別の事情によって判断が分かれるため、思い込みで断定せず、専門家に状況を整理してもらうのが安全です。
まとめ、出社頻度の打診は「成果物か働き方か」で見極める
出社頻度アップの打診を受けたとき、多くの方はまず「応じるか断るか」の二択で考えてしまいます。ですが実際には、契約書の条項確認→単価再交渉の材料作り→契約終了の判断基準という3段階を踏むことで、二択よりずっと解像度の高い判断ができます。
私がこの記事で一番伝えたいのは、判断基準を単価の額面ではなく、クライアントが管理しようとしているのが成果物なのか、働き方そのものなのかという一点に置くことです。成果物への要望であれば交渉の余地があり、働き方そのものへの管理が強まっているなら、それは契約終了を検討すべきサインです。
Aさんは最終的に契約を終了させる決断をしましたが、それは出社そのものを拒んだからではなく、交渉を尽くした結果として「これ以上はフリーランスとしての裁量が保てない」と自分で判断したからでした。契約途中の条件変更は、フリーランスにとって避けられない場面の一つです。慌てて感情で反応するのではなく、契約書を確認し、数字で交渉し、それでも折り合わなければ次の契約先を確保してから動く——この順番を守れるかどうかが、条件変更に振り回されるか、自分の裁量を保ち続けられるかの分かれ目になります。




