「額面で80万円下がりますが、ストックオプションが付きます」——スタートアップのオファー面談でこの一言を聞き、頭が真っ白になったという相談を、今年に入ってから何件も受けています。
IT・Web業界で800名以上の転職支援に携わってきましたが、SO付きオファーの是非を雰囲気や期待感だけで判断し、後になって後悔する方が目立つのが実情です。今回は、額面年収のダウン分をどう定量的に判断するか、実際にあった相談のやり取りを交えてお伝えします。
今回は、次の2つの物差しを対比させる考え方を中心にご紹介します。
- 額面年収ダウン×勤続想定年数で計算する「機会損失」
- IPO確率×付与株数×想定株価差で計算するSOの「期待値」
- IPOまでの期間の長期化や税制の違いなど、判断に関わる周辺情報
目次
- ストックオプション付き転職で額面年収が下がる、判断に迷う相談が増えている
- 相談: 35歳インフラエンジニア、住宅ローンを抱えながらのSO付きオファー
- ストックオプションの仕組みを最小限おさらいする
- 額面年収ダウン×勤続想定年数、まず「機会損失」を数字にする
- SOの期待値、IPO確率×付与株数×想定株価差で考える
- 前提を変えるとどう動くか、感度で見ておく
- IPOまでの期間は中央値7.5年に長期化、ベスティング途中のリスクも
- 求人票・オファー面談で確認すべき行使価格・行使期間のチェックポイント
- SO以外にも交渉材料になりうる条件
- 数字を並べた末に、相談者が出した結論
- まとめ、額面年収ダウンは「機会損失」と「期待値」の対比で判断する
ストックオプション付き転職で額面年収が下がる、判断に迷う相談が増えている
ここ1〜2年、資金調達の環境が以前ほど楽観的ではなくなったこともあり、シリーズA〜Bクラスのスタートアップから「額面年収は据え置きか、むしろ下げる代わりにSOを厚めに付与する」という設計のオファーを見る機会が増えました。人件費というキャッシュアウトを抑えつつ、優秀な人材の入社インセンティブを維持したいという企業側の事情が背景にあります。
候補者側から見ると、これは判断の難しい提示です。現年収からの下げ幅は今すぐ生活に影響する確実な数字である一方、SOの価値は「会社が将来どうなるか」という不確実な仮定の上に乗っています。性質の違う2つの数字を、感覚だけで天秤にかけようとすることに、そもそも無理があるというのが私の見立てです。
相談: 35歳インフラエンジニア、住宅ローンを抱えながらのSO付きオファー
相談に来られたのは、独立系SIerでインフラエンジニアとして11年働いてきた35歳の方でした。現年収は620万円、3年前に4,200万円の住宅ローンを組んで一戸建てを購入し、今年二人目のお子さんが生まれたばかりだといいます。
転職のきっかけは年収への不満ではなく、「オンプレの保守運用ばかりで、クラウドの設計経験を積めないまま40代を迎えることへの焦り」でした。選考が進んだのは、シリーズBの資金調達を終えたばかりの従業員45名ほどのSaaS企業で、SRE寄りのポジションです。オファー内容は額面年収540万円、つまり現年収から80万円のダウンで、税制適格ストックオプションを8,000株、行使価格1株50円で付与するという条件でした。
「クラウドの経験は積めそうで魅力的なんですが、80万円下がるとなると、正直ローンの支払いが不安になります」というのが、最初にいただいた相談の一言でした。SOという言葉自体は知っていても、それが80万円のダウンに見合う金額なのかどうかを判断する材料を、ご本人は持ち合わせていませんでした。
ストックオプションの仕組みを最小限おさらいする
本題の判断プロセスに入る前に、ストックオプション(SO)の仕組みを簡単に整理しておきます。SOとは、あらかじめ決められた価格(行使価格)で自社株を購入できる権利のことです。会社が成長し株価が行使価格を上回った状態で権利を行使すれば、その差額が利益になります。逆に上場やM&Aに至らなければ、権利自体がただの紙切れで終わることもあります。
税制面での違いも判断に影響します。国税庁が定める要件を満たす「税制適格ストックオプション」であれば、権利行使時には課税されず、株式を売却した時点で譲渡益に対して20.315%の税率がかかるだけで済みます(freee「税制適格ストックオプションとは?」)。
一方、要件を満たさない「税制非適格」の場合は、権利行使時点の含み益に対して給与所得としてまず課税され、税率は最大で55%程度に達します。そのうえで売却時にはさらに譲渡益課税がかかるため、手取りベースで見た差はかなり大きくなります。
具体的な金額に当てはめると、この差がどれくらい効いてくるかが見えてきます。仮に権利行使時点の含み益が920万円だったとすると、次のような開きが生まれます。
| 区分 | 課税のタイミング | 手取りの目安(含み益920万円の場合) |
|---|---|---|
| 税制適格 | 株式売却時のみ、譲渡益に20.315% | 730万円前後 |
| 税制非適格 | 権利行使時に給与所得として最大55%程度、売却時にさらに譲渡益課税 | 400万円台前半まで下がることもある |
同じ920万円の含み益でも、適格か非適格かだけで手取りは2倍近く変わりうるということです。この試算はあくまで一般的な税率を機械的に当てはめた目安であり、実際の税額は他の所得との合算や控除の有無によって変わるため、正確な金額は税理士に確認してください。
なお、税制適格の要件には、設立5年未満の企業では権利行使価額の年間上限が2,400万円までといった細かな条件もあります。この条件を満たしているかどうかはオファー通知書や契約書だけでは判断しきれないことも多く、金額が大きい場合は税理士に個別に確認することをおすすめしています。
以前SESと自社開発企業の年収差を扱った記事でも触れましたが、SOは求人票や条件通知書の「年収」欄には反映されない、額面の外側にある要素です。仕組み自体は理解している方でも、それを「今回の80万円ダウンと見合っているか」という具体的な計算に落とし込めている方は、体感としてかなり少ないです。
額面年収ダウン×勤続想定年数、まず「機会損失」を数字にする
判断の出発点は、SOの魅力に気を取られる前に、額面ダウンの重みをそのまま数字にしておくことです。考え方はシンプルで、年収の下げ幅に、その環境で働くと想定する年数をかけるだけです。
先ほどの相談者の場合、下げ幅は年80万円でした。SOのベスティング(権利確定)期間である4年をそのまま勤続想定年数として当てはめると、80万円×4年=320万円が、単純計算での機会損失になります。もちろん実際には転職後の昇給や賞与の変動もあるため、この320万円は厳密な予測ではなく、あくまで「今の条件のまま4年間働いた場合の下限の目安」として扱うべき数字です。
ポイント: 機会損失を計算する際は、ベスティング期間だけでなく、後述するIPOまでの想定期間でも試算しておくと判断の幅が広がります。今回のケースでは、4年で320万円、7.5年まで延ばすと600万円という、2つの目安を並べて検討しました。なお7.5年は世界全体の中央値なので、シリーズB調達済みの会社では長期側の目安にあたります。
この320万円という数字を最初に出したとき、相談者の方は「そうですよね、それくらいの重みがあるはずだと思っていました」と、感覚と数字がようやく一致したような反応を見せていました。SOの魅力に目を向ける前に、まず失うものの大きさを具体的な金額として認識しておくことが、冷静な比較の土台になります。
SOの期待値、IPO確率×付与株数×想定株価差で考える
機会損失の数字が出たら、次はSO側の期待値を同じ土俵に乗せます。計算の骨格は、「IPOする確率」×「付与株数×(想定株価-行使価格)」で、ここから税金分を差し引いたものが、手元に残る期待値のおおよその目安になります。
以前複数内定を比較した相談事例でも、SOの含み益はあくまで参考程度に留めるべきだと触れましたが、今回はその「参考程度」の金額を、実際に数式に落とし込んでみます。
まずIPO確率です。IPOを目指す企業のうち、実際に上場に至るのはおよそ1%程度という目安が示されています(MONEYIZM「IPOの成功確率は1/100」)。ただしこれは創業間もない企業も含めた全体の数字で、シリーズBまで資金調達を進められた企業に絞ると、体感的にはもう少し高くなります。
私自身、担当してきたシリーズB以降の企業の状況を振り返ると、5〜6社に1社程度は上場やM&Aによる何らかのイグジットに至っている印象があり、ここでは仮に15%として計算を進めます。
次に、付与株数と株価差です。相談者の方は8,000株を行使価格50円で付与されていました。同業種・同規模のSaaS企業が上場した際の株価水準を参考に、想定株価を1,200円と仮に置くと、1株あたりの差額は1,150円、8,000株分で920万円の含み益になります。ここにIPO確率15%をかけると、税引前の期待値はおよそ138万円です。税制適格ストックオプションだったため、譲渡益課税20.315%を差し引くと、税引後の期待値はおよそ110万円という計算になりました。
| 項目 | 金額・数値 |
|---|---|
| 額面年収ダウン×4年(ベスティング期間) | 320万円 |
| 額面年収ダウン×7.5年(IPO中央値) | 600万円 |
| SOの税引前期待値(IPO確率15%で試算) | 約138万円 |
| SOの税引後期待値(税制適格・譲渡益課税後) | 約110万円 |
数字を並べてみると、4年間の機会損失320万円に対し、SOの税引後期待値は110万円ほどにとどまり、額面ダウンの重みをSOだけでは埋め合わせきれないというのがこのケースでの結果でした。付与株数や想定株価の置き方によって結果は変わりますが、「額面が下がる代わりにSOが付くから安心」という単純な捉え方が、実は成り立ちにくいケースが多いことがこの試算からも見えてきます。
なお、SOICOが紹介しているFASTGROWの調査データによると、上場企業22社の創業メンバーを除くSO保有上位10名では、保有比率が平均0.34%・中央値0.185%、金額にして平均約1.94億円・中央値約1.29億円とされています。ただしこれは各社でもごく一部の早期メンバーや幹部クラスの数字であり、シリーズB以降に入社し数千株規模の付与を受ける今回のようなポジションとは前提がかなり異なります。
それを踏まえると、今回のケースの920万円という含み益の想定は、むしろ保守的な部類に入る数字です。それでもIPO確率を掛け合わせると期待値は大きく目減りする、という点が、この計算方法の一番の学びだと感じています。
前提を変えるとどう動くか、感度で見ておく
この試算はあくまで一つの前提の置き方にすぎません。IPO確率をより楽観的に30%と置き直すと、税引前期待値は276万円、税引後ではおよそ220万円まで上がります。それでも4年間の機会損失320万円には届きませんが、7.5年という長期の勤続を前提にすれば、逆転する余地も見えてきます。
反対に、資金調達環境の悪化でダウンラウンド(前回より低い評価額での資金調達)が起きれば、想定株価そのものが行使価格に近づき、含み益がほぼ消えるケースもあります。私が担当した別の相談者の中には、内定を承諾した半年後にダウンラウンドが発表され、SOの実質的な価値がほぼゼロになったという方もいました。
期待値は一つの確定した数字ではなく、前提の置き方次第で大きく動く幅として捉えておくことが大切です。IPO確率や想定株価をどう見積もるかによって結論が変わるからこそ、自分なりの前提を明示した上で判断する姿勢が欠かせません。
IPOまでの期間は中央値7.5年に長期化、ベスティング途中のリスクも
期待値の計算に加えて、もう一つ考慮すべきなのが時間軸です。日本経済新聞の報道によると、世界のスタートアップが最初の資金調達から上場に至るまでの期間は2024年時点で中央値7.5年となり、2022年と比べて2年ほど長期化しています。同じ年のIPO件数は355件で、前年比20%減という結果でした(日本経済新聞「世界のスタートアップ、IPOまでが長期化」)。
起点が「最初の資金調達」なので、相談者の会社のようにすでにシリーズBまで進んだ企業では、残りの期間はこれより短い可能性があります。一方で、これはあくまで世界全体の中央値です。本記事では長期側の目安として置いています。
日本の足元も楽ではありません。EYの集計では、2025年の国内新規上場は一般市場ベースで66社(前年86社)、うちグロース市場は41社(前年64社)でした(EY「2025年IPOの振り返り」)。
上場後のハードルも上がる方向です。東証グロース市場の上場維持基準のうち時価総額基準について、現行の「40億円以上(上場10年経過後から適用)」が、2030年3月1日から「100億円以上(上場5年経過後から適用)」に見直されます(日本取引所グループ「上場維持基準(グロース市場)」)。見直しの概要は2025年9月に公表されました。SOの出口であるIPOはゴールではなく、その後も株価を維持できる規模まで成長する前提が、これまでより強く求められるようになります。
この長期化は、候補者にとって2つの意味を持ちます。一つは、額面ダウンを我慢する期間そのものが長くなりやすいということ。もう一つは、権利が確定する前に転職や解雇でその会社を離れるリスクの窓が広がるということです。
一般的なSO契約では、入社から1年間は権利が一切確定しない「クリフ」期間が設けられ、その後は月割りや年割りで段階的に権利が確定していく設計が多く見られます。クリフ期間中に会社都合・自己都合を問わず退職すると、付与された株数はすべてゼロに戻ります。相談者の方のケースでも、クリフが1年、その後3年かけて残りが確定する4年ベスティングの設計でした。
IPOまでの期間が延びるほど、権利が無効になるリスクにさらされる期間も長くなるという関係を、私は候補者の方に必ず伝えるようにしています。スタートアップは事業のピボットや人員整理も珍しくなく、7.5年という期間の間に会社の方針自体が変わってしまう可能性も十分にあります。
求人票・オファー面談で確認すべき行使価格・行使期間のチェックポイント
ここまでの計算をするためにも、また入社後に不利益な条件を見落とさないためにも、オファー面談の段階で確認しておくべき項目があります。求人票だけでは分からない情報がほとんどなので、面談の場で遠慮なく質問することをおすすめしています。
SO付きオファーで確認しておきたいポイント
- 税制適格ストックオプションかどうか、要件を満たしているか
- 付与株数・行使価格・発行済株式総数に占める割合(希薄化後の比率)
- ベスティングのスケジュール(クリフの有無、確定までの年数)
- 退職後に権利行使できる期間(在籍中限定か、退職後も一定期間権利が残るか)
- 直近の資金調達時の企業評価額(想定株価の参考材料になる)
このうち特に見落とされやすいのが、退職後の権利行使期間です。在籍中に確定した権利であっても、退職後に行使できる期間が数日〜数十日しかない設計もあれば、数年間権利を保持できる設計もあり、契約によってかなり幅があります。転職を検討する段階でここまで確認する候補者は少ないのですが、将来また転職する可能性がある以上、無視できない条件です。
内定後の年収交渉について書いた記事でも触れたとおり、条件面の疑問はオファー面談が最後にして最大の確認の機会です。SOに関する質問は、金額交渉とは性質が違うので、遠慮せず「持ち帰って検討する材料にしたいので」と前置きして聞いてしまって問題ありません。実際、こうした質問に丁寧に答えてくれる企業ほど、SO制度の設計自体もしっかりしている傾向があるというのが私の実感です。
SO以外にも交渉材料になりうる条件
SOの内容そのものを企業側に有利に変えてもらうのは難しくても、周辺の条件であれば交渉の余地が残っていることがあります。私が担当した相談の中では、入社直後の生活資金への不安を和らげる目的で、入社時に一時金として支給される「サインオンボーナス」を提示してもらえたケースがありました。金額は50万円程度でしたが、初年度の額面ダウン分を実質的に埋め合わせる形になり、候補者の方の不安はかなり和らいでいました。
また、ベスティング期間中に会社都合で退職せざるを得なくなった場合に備え、一定条件下で権利確定を早める「アクセラレーション条項」を契約に盛り込めないか相談した例もあります。すべての企業が応じてくれるわけではありませんが、聞くだけなら失うものはありません。額面や株数そのものが動かせなくても、周辺条件で調整できる余地がないかを確認する価値はあります。
数字を並べた末に、相談者が出した結論
一連の試算を一緒に整理した後、相談者の方は「320万円と110万円という数字を並べられると、さすがにSOだけで埋め合わせるのは無理があると分かりました」と話していました。ただし、クラウド設計の経験を積めるという転職の本来の目的自体は諦めたくない、という気持ちも変わっていませんでした。
この試算をそのまま奥さまにも見せて相談したところ、最初は「機会損失の方が大きいなら、意味がないのでは」と難色を示されたそうです。ただ、住宅ローンの返済計画への影響を月単位の金額に落とし込んで説明したところ、「その範囲で収まるなら、キャリアのための選択として応援したい」と了承を得られたと聞いています。
そこで私が提案したのは、SOの評価はいったん脇に置いた上で、額面のダウン幅自体を企業側と再交渉することでした。「現年収からの下げ幅が大きく、住宅ローンの支払いに直結するため、基本給の面で歩み寄れないか」と率直に伝えたところ、企業側からは「等級のレンジ内であれば調整できる」という回答があり、最終的な提示は570万円、下げ幅は50万円まで縮まりました。
50万円×4年で計算し直すと機会損失は200万円になり、SOの税引後期待値110万円との差は縮まりました。それでも数字の上では機会損失の方が大きいままでしたが、相談者の方は「差額90万円分は、クラウドの実務経験というキャリア上のリターンで埋め合わせられると考えます」と、最終的には数字と納得感の両方を持って入社を決めました。
半年後に近況を伺うと、想定どおりクラウド基盤の設計業務を任され始めており、「不安だった住宅ローンの支払いも、ボーナスの時期に多めに繰り上げ返済することで調整できています」とのことでした。SOについては「正直、期待していません。ゼロになっても計算通りだと割り切れているので、逆に精神的には楽です」と話していたのが印象的でした。
まとめ、額面年収ダウンは「機会損失」と「期待値」の対比で判断する
スタートアップからのSO付きオファーで額面年収が下がる場合、判断の軸になるのは「魅力的かどうか」という感覚ではなく、失う金額と得られるかもしれない金額を、同じ土俵に乗せて比べられるかどうかです。額面ダウン×勤続想定年数で機会損失を出し、IPO確率×付与株数×想定株価差でSOの期待値を出す。この2つを並べるだけで、感覚だけでは見えなかった差が数字として浮かび上がってきます。
機会損失とSOの期待値を並べて比較するという視点を持てれば、SOという不確実な条件に振り回されず、額面のダウンをどこまで受け入れられるかを自分の言葉で説明できるようになります。オファー面談で数字に迷ったときは、まずこの2つの計算式を紙に書き出してみてください。




